仕事帰り、チューリップの鉢植えの並ぶ町の南端で一休みしていたリーリエは不意に町の牧場主に呼び止められ、そしてこころよいねぎらいの言葉とともに深紅のうさぎ布を手渡されました。いつものように、ありがとう、これ大好きなんだ、そう笑顔を作り出して……。次の瞬間、ぐいと牧場主に両手を引き寄せられます。地面に落ちるうさぎ布。しかしそれにかまうことなく、彼はあまりにも真剣な目で見つめてきます。すっかり言葉を失い、はち切れそうな心臓をなだめる力もなく震えるリーリエに、イブキはとある文言をつぶやきました。それを聞いて理解したとたん、まるでじーんと発熱した使い捨てカイロのように重く深く顔が熱くなり、リーリエは力ずくでイブキの手を振り切ると、目にいっぱい涙を溜めて逃げるように宿屋に走っていきました。
部屋にとびこみ床にうずくまります。体中が灸をすえられたように熱くなって行きます。フリルのついたひざ丈スカートの裾がふわりと細い足にかかります。芸能人でもあるリーリエ、さりげなく持ち合わせている知識から彼の言葉の意味を、真意を感じ取ろうとします。――あれは確か……。
かくとだに… えやはいぶきの… さしもぐさ…
気がつけば体だけでなく、顔も耳たぶまでも、申し訳なさと羞恥と、さらにはどこか差し出がましい喜びと、その喜びを打ち消すような悲しい感情にほてり、頭の中は完全に空っぽ、真っ白。まるで思いがけず自分に知恵試しを仕掛けてきた大胆な好男子に、思考も何もすべて吸い上げられてしまったよう。コバルトブルーの澄んだ瞳から雪解け水のように涙が迸ります。
一途な想いと燃えるような皮肉の込められたひとつの短い歌。
――イブキさんにこんなこと言わせちゃって……ああ、あたし、やっぱり嫌われちゃったんだ――
どうもリーリエの態度がよそよそしくなったのは、確かあの日、川べりでばったりと出会ったあの日当たりから。オフだというのに雲の流れを読んでは天気を占っていたリーリエに「職業病?」なんて軽い調子で話しかけると、彼女は「うん、そんなところかな」と笑って、聞いてもいないようなことまで話しだした。天気予報士の仕事をするとき、初めのころは慣れていないばっかりに原稿を読むだけで精いっぱいだったこと、そのときにはまだ天気予報士の資格すらとっていなかったことなんかを。
普段テレビで見る彼女は闊達で、難しいお天気用語もその分野に学のない大人からこれから学校に行く子どもにもわかるようにと簡単な言い方にかみ砕いて天気の予報してくれている。初めは資格を持っていなかったという彼女の言葉に驚き、きっと涙ぐましい努力をしたんだろう、そう訊いてみると彼女はびっくりしたように目を見開いた、いたずらがばれてびっくりするような……といっては彼女に失礼でしょう、良かれとこっそり気を回したことが完璧に見通されてびっくりするような、そんな顔をして、そんな風に言ってくれたのはイブキさんだけだよ、と喜んでくれた。
そうして雲の動きと天気がどう関係するのか教えてもらっていたはずが、いつしか二人してあの雲は何の形に見えるか、入道雲はソフトクリームみたいだ、などとあまりにもたわいのないおしゃべりに夢中になるうち、彼女はうっかり足を滑らせ水の中にポチャンしかけ、そんな彼女を助けようと咄嗟に彼女の手をにぎって彼女を自分に引き寄せた。そうしたら彼女はお礼もほどほどに、火でもつけられたように逃げ出したのです。
天気予報士の肩書の後ろで日々絶えまぬ努力をしていたことを知られ、公私混同を避けてあくまで「お天気のお姉さん」としてイブキと接しようと決心したのか、それとも咄嗟とはいえ断りもなく手をつかんでしまったことで、彼女に計り知れないショックを与えてしまったのか。
とにかくあの日の辺りを境にリーリエのイブキに対する振る舞いは日に日にぎこちないものになってきていました。大好きなものを渡しても、喜ぶことは喜ぶのに、どうもその笑顔は不自然で無理やり作り出されたものに見えてしまう。仮にそれがいつわりの仮面で、彼女は純粋に喜んでいるのだとしても、彼女のその苦渋の笑顔にはどこか物憂げな、寂寥の影が感じられてならないのです。
彼女に何に惚れたのかと言えば難しく。勿論、その名前の通り、ユリのように清らかで麗しい彼女の見目そのものがイブキを魅了したことに間違いはありません。きれいに切りそろえられた栃栗色の短髪、テレビ出演しているだけの愛嬌のある朗らかな目鼻立ち、さらには純度の高い緻密な金属を細い鉄の棒で叩いたような、高く澄んだ銀色の声。天性より彼女に授けられたそれらの愛らしさに、外見や声なんて二の次だなんていっても嘘になりましょう。
第一印象からイブキに好感度を与えた彼女、そしてイブキがこの町で暮らすようになり、だんだんと彼女の日常の姿も見えてきて……。テレビの向こうでは誰もが愛する最高に憎めないお天気のお姉さん。元芸能人という経歴も手伝って、お天気コーナー以外でもリポートを任されることもあって、必ずひとつやふたつ、一週間は耳にこびりつきそうな天然発言をぶちかましてしまう究極のいじられキャラ。その一方で子供たちに囲まれたときにはきちんと腰を落としてみんなと目線を合わせると、長年の経験と年の離れた妹の相手をするうちにさずかった、非常にわかりやすく、かといって子供じみてもいないものの良いようで場を取り持つ、しっかりもののお姉さんに大変身。
そして樫の木タウンに戻ってくれば、困っている人を見ると放っておけない性分のリーリエに戻るのです。それとも彼女はそんな「リーリエ」まで演じているのかもしれない。ともあれ、休日もなんやかんや人助けに消えていき、それが嬉しい、それがあたしの生きがいみたいなもので、と休日まで他人のために使うことをむしろ喜ぶ社交的でお人よしな心の持ち主。さらには働きに出ながら、妻と死に別れた父モーリスを支える、いわば宿屋の「若女将」、かつ妹思いの姉。
とりわけリーリエの持つ優しさと家庭的な雰囲気が、この町に身寄りのいないイブキを優しく包み込んでくれたのでしょう。いつしか自然、イブキはリーリエのそばに居たいと強く願うようになっていました。
そのリーリエが、近頃妙にイブキにつれなくするので、イブキの胸には当然のことながら彼女を訝る気持ちが芽生え、ついに彼は謂れのない嫉妬に苛まれることになりました。
しかし彼女から真相を直に聞きだすのも気が引けるところ、否、男らしく問い質しても、おそらく相手は上手に話題をはぐらかしてしまうに違いありません。なにせ芸能人で、かつ宿屋では出身地の異なる不特定多数のお客さんを相手にしているリーリエです。妹のメルティがそうであるように、彼女も話し上手であることに間違いなく、自分に不利な話題を振られればあっさり話をそらしてしまうことも苦ではないでしょう。
素朴な牧場主でもの言わぬ動植物が相手であるイブキに、いざとなったとき脱線した話題を再び軌道に乗せられるだけの話術があるか不安なところ。最もそれとなく彼女に尋ねてみることができればなによりのところ、その「それとなく」なんざこれが初恋のイブキには最上級に難しい。ではどうすれば。
……とそのとき、イブキの頭にひとりの知的な女性が思い浮かびました。リーリエとはまた別の理由で言葉にたけた女性。恋愛についてもよくよく熟知している大人の女性で、そのくせどこか乙女らしさを残した純粋な貴婦人、そう、小説家のイリス。彼女がつい最近、また新しい本を書き上げたそうな。今回は珍しく古典を題材に書いた異色の作品という。それを読ませていただく手はないな。
彼女の家、町はずれのアンティークショップを訪れると、店主のミステルが薄く口をあけて「いらっしゃいませ」と快く挨拶をしてくれました。
「新しい設計図が入荷したって手紙が来てたから」
「ええ、ご用意はできています」窓辺でつんと澄ます猫のようにミステルの顔は落ち着き払っていました。「しかしイブキさん、本当に欲しいものは違うのでしょう」
「へへ、だってこの町で新作を手に入れるにはここに来る他ないんだもん。このまえのお話も楽しかったし反省もしたよ、ほら、馬とひとが入れ替わっちゃうやつ、俺が俺の馬と入れ替わったらって思ったらさ」
まあ、それはそうでしょうね、あの話の主役はあなたが果たしているのですから、そう心の中で思いながら、姉が突然あまりにも荒唐無稽なお話を書いた心理をそれとなく察し、ミステルは軽く咳ばらいをしました。
「今回のお話もきっとためになると思いますよ。身分違い、教養違いの男女のお話です」「それはどんぴしゃかもしれない!」
「声が大きいです、お楽しみは牧場に戻られてからにしてください」
新しい設計図もはさんでおきますね、そう言ってミステルは、わりとぶ厚いハードカバーの書籍をイブキの手に渡し、放っておくとノロケ話にでも巻き込んできそうな厄介な訪問者をやんわりと追い返しました。
そのとき当のイリスはちょうどを刷り上がったばかりの本を読み返しているところでした。下からイブキの快活な声が聞こえ、彼女はふふっと笑い目を閉じます。金の長髪がサラサラと彼女の肩にかかります。柔らかく目を閉じて口元を緩める彼女の表情は、イブキの求めるすべてを簡単に見透かしているようでした。
「イブキさん、恋にやけどはつきものというけれど、まだ付き合ってもいない彼女にお熱になりすぎでなくて?」
身分と教養違いの男女のお話。田舎上がりの粗野で純朴な男性が、気位の高い硬派な都会の娘に一目ぼれしてしまうありがちといえばありがちなストーリー。ただ気を配ったのは、その題材を、サクラの国の古典にまつわる逸話に求めたところ。サクラの国で初めてエッセイ、随筆を書いたと言われ、歌の才能にも恵まれた宮廷仕えの女官に恋をし、必死で恋文を贈るも相手にされずに困り切ったひとりの男子が、燃え上がる思いと皮肉をこめた歌を思いつく。
「そうよ」イリスは目を開きます。「いまのイブキさんにぴったりでなくて? でもリーリエちゃんの心はどうかしら。私の小説でも、もとの逸話でも、この男の熱烈なプロポーズは届かないのだけど、リーリエちゃんならこの男の真似をしてこの歌を口ずさめば、心を開いてくれるはずなの」
かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもひを
牧場に戻り、すべての仕事を大急ぎで終えて本を読み始めたイブキは、あっという間にこのクライマックスに到達し、はっとしました。
「えやは……いぶき……の? この歌は俺のことを言っているのか?」
『……っていうか、どうしてこんな大切なところで親父ギャグなの、キモくな?』
『まあそう言わんといてください。伊吹山はさしも草、つまりよもぎで有名なんです。このよもぎはお灸にも使われるそうで……』
「お灸だって?」
『彼女は彼の素朴さを嫌悪した。せっかくの比喩も、その実体を言ってしまっては興覚めにもほどがあるというのに、この悲しいまでも愚かな男は自分で仕掛けた修辞の比喩を自分で暴露してしまったのである。
『ああ、もうっ、そーゆーのウザいから!』
『彼女はすがる男を軽くいなすと、人ごみにさっさと身をくらましてしまった。……』
「ずいぶんとひどい女性だ。この男は必死で彼女に追いつこうと知恵を絞っているんだろうに。それをわかろうともしないで、キモいだウザいだなんて……」
『後に残された男は涙を流しながら自分の想いを反芻する。この歌の意味を、彼が古い書物から感じ取ったみずみずしい感情とともに……。
『どう言えば通じるものか。伊吹山に生えるさしも草、このさしも草のように私の想いが熱く燃え上がっているなんて、あなたはきっと知りもしないのでしょう』
「なんてこった、なんてすばらしい歌なんだ! まさにいまの俺の気持ちを代弁している。……よし、こいつをちょいとリーリエに据えてやろう。燃えるような赤に燃えるような想いを託そう、ああどうか、このつれない女性と違って、この歌がリーリエに効き目がありますように。俺のことを、キモいだなんて言わずに、俺と向き合ってくれますように!
「ね、あなたに宛てて書いたのよ」イリスは優しく表情を崩し、ひとりごちました。「最近、リーリエちゃんにお熱のあなたを見て、私まで胸が熱くなっちゃったの。余計なお世話ってばこのことを言うのね、でも私は友だちとして、イブキさんのことも、リーリエちゃんのことも大好きなの。それに私はあなたたちより年が上だし。この際キューピッドにならせてもらうわ、お節介かもしれないけど、めんちゃいね。イブキさんにはリーリエちゃんと幸せになって欲しいの、あの娘はイブキさんが思っている以上に純情な少女なのよ。だからお馬さんと同じで、乱暴に扱っちゃぁ駄目よ。彼女と純朴なあなたが幸せになってくれなくっちゃ、私まで悲しくなっちゃうんだから」
さあ、次はどんな恋バナを書いたらうまくいくかしら……。女の子の着せ替えとどこか似ているような、いやそれとは全く別物の真剣なお楽しみのような、年配者として見守り教え諭すべき存在の誕生に、イリスの心にもすっかり、青春が返り咲いているのでした。
――違うの、本当は違うの、あたしはイブキさん、あなたのこと――
リーリエはしばらくしくしくと泣き続けていました。両袖が涙でぐっしょりと濡れてしまうころ、彼女はようやく顔をあげ、ひりひりと痛む目をぬぐいます。
あの日、自分のことを勉強熱心と褒めてくれたイブキ。そして川に落っこちそうになったとき咄嗟に助けてくれたのに、思いがけず彼の顔を至近距離で直視し、自分は恥ずかしさのあまり逃げ出してしまった。テレビ関係者やファンに手を握られるのとは全く違った妙な気まずさは、ああ、そう、彼をひとりの異性として意識した証拠。初恋の衝撃はあまりにも悲惨なもので、すっかり彼を傷つけてしまったと、あの日も一晩中泣きはらして。
ところが次の日会ってみると、彼は何も気にしていないようで、それどころかイブキは、昨日は大丈夫だった? 怪我でもしたんじゃないかって心配で……とリーリエの体を気遣ってさえくれました。そのときには理由は言えずとも「ごめんね」が言えて、それから毎日のように彼は仕事帰りの自分をねぎらい、それまで以上になにかと気遣ってくれるようになりましたが……。
紳士的な彼の前では自分は本当にとるに足らないちっぽけな存在に思えてならず、どうしても彼に対して素直になれなくて。それでも心のどこかで彼のことを好きだと思う気持ちが、彼が自分を選んでくれたらと願う気持ちが、ほんのりと頭をもたげていることは確かで。生まれてこの方ずっと男性と付き合ったことのないリーリエにはどうしてよいやらわかりません。そうやってずるずるとあいまいな態度をとり続けてきた結果が、今日の彼のあの言葉なんだ、それぐらいはよくわかります。
彼は何を思ってあの歌をうさぎ布に託したのか、さしもぐさの歌は前にサクラの国の和歌特集をしたときに確かでてきました、燃えるような想いが届かないと嘆く男性の歌。あれは確か「セーショーナゴン」という女性に宛てられたものなのだとか、学の高いセーショーさんは彼の想いを軽くあしらったと言い、あのときには「ひどい女性ですねー!」と、歌の真意もよく分からずにいい加減なことを言ってしまった。
ところがいざ自分がセーショーさんの立場となると、ぼんやりとおぼろな考えが頭をもたげます。セーショーさんの気持ちはよく分からないけれど、自分より知識のない無風流な男性から言い寄られれば、はねつけたくなるのも女性の性かもしれない、それとも彼女もいまの自分のように、実は相手の熱意にすっかり怯えて素直になれなくなってしまったのかも。
どちらにせよ、自分は自分で言うところの「ひどい女性」にはならないようにしよう、これ以上彼から逃げ続けることはもうやめにしなくては。
全身の力と心の力をかき集めて、リーリエは立ち上がりました。
ちょうど手隙の時間なのかカウンターで暇を持て余し、碁の打ち方をぶつぶつつぶやいているモーリスに、イブキさんのところに行ってくるから、と言いかけたリーリエは、父親のなにかを悟られたような言葉にびくっと肩を震わせることになるのでした。
「ああ、イブキなら外で待ってるぞ」
本当にイブキは宿屋の外にいました。追いかけてきたとすれば、もうずいぶんここで待っていたことになります。それも部屋の中まで来ないで、気を利かしたのか外で待っていてくれたなんて。……単にモーリスが門前払いをしたのかもしれないけれども。
「リーリエ、さっきはごめん!」
すぐさまイブキは顔の前で手を合わせました。
「びっくりさせちゃったね、俺、不器用で……その……」
「ううん……その……びっくりはした……けど……あたしも……」
「ここじゃモーリスさんに悪い、山のふもとに行こうか」
いざ提案されると、まだなにも心の準備ができていないことに気がつかされて。原稿無しで収録を乗り切れるだけの肝はあっても、今その胸の内で渦巻く思いを何も見ずに言葉にする度胸はどこにもなくて。リーリエはじっとおし黙ったままイブキの後ろをついていきます。
そのうちにイブキが場を和ませようと、明日の天気はどんな感じ? だとか、今朝の生中継、すごくよかったよ、などととるに足らない話題を振り始め、それに答えるうちに少しずつ、リーリエの心の緊張もほぐれていきました。どうするとリーリエの口が滑らかになるのか、イブキはとてもよく知っているようでした。
そうこうするうち、二人の足はあの日、リーリエが落ちかけた川べりにさしかかりました。
あの……とリーリエは言葉を詰まらせます。ぶんぶんと頭を振り、長身で華奢な割に力持ちの青年を見上げます。吸い込まれそうに深く穏やかな眼差しでイブキはリーリエを見やり、少しだけ足を引いて後ろに退いて、彼女との距離を広げます。イブキのそれとない気遣いにますます心が震えます。どんどんどんどん、自分の胸の内を彼に吸い取られていくような気がして。そうだとしても自分は「ひどい女性」にはならないって決めたんだ、必死で自らを鼓舞し、リーリエはか細い声を絞り出しました。
「あのさしもぐさの歌……」
「ああ! ちゃんと聞いてくれてたんだね! ごめん、君に灸を据えようなんて微塵も思ってないから、ただ、ちょっと不安になってきちゃって。だってなんだか君がつれないんだもの。うさぎ布をあげても本心から喜んでいるようには……」
「違うの、違う!」
勢い大声を出してしまいリーリエはごめん、と目を伏せます。
「あたし、前にイブキさんに助けてもらってから、自分は本当にイブキさんに釣り合わないって、ずっと思ってて。っていうのも、イブキさんは私には立派すぎて。それにイリスさんとも仲良くしてるし、そっちのほうが絶対イブキさんにはお似合いだなって……。あたし、自分がイブキさんにふさわしければいいのになって、こっそり思ったりもした。だけどやっぱり無理、あたしには無理、でもそれが辛くて、切なくて。どうしたらいいか。前にここで川に落ちかけたあたしを助けてくれた時も、あたし、びっくりして逃げ出しちゃった、せっかく助けてくれたのに。ありがとうも言えなくて……きっとイブキさんのこと傷つけちゃったって、それで顔を合わせるのも正直辛くて。イブキさんがくれるうさぎ布だってずっしりと重く感じられて……。ごめん、緊張しちゃって、うまくしゃべれない。でも、でも。……」
リーリエはとうとうすっかり黙り込んでしまいました。
――なんだ、そんなことだったのか――
イブキは自分のとんだ気苦労に膝の力が抜けそうになります。そこをなんとか持ち直し、ゆっくりと首を振ると真剣な眼差しでリーリエを見つめます。
――じゃあイリスさんの新作の男女のポジションが俺とリーリエでは実はあべこべだったっていう……――
やはり俺には女心なんてわからない。こんなに必死になって自分に追いつこうとしている求愛者を「ウザい」なんて追い払う女の心なんて。だから俺は自分の流儀でいこう、あんな気分の悪い恋愛物語なんて演じてたまるか。
ゆっくりとポケットに手を入れ、大切に持ってきたあるものを握りしめると、イブキは口を開きました。
「リーリエ。勘違いしないでくれ、俺はそんな風にあり余る気遣いができるリーリエが大好きだ。テレビの向こうのお天気キャスターのリーリエでも、樫の木タウンのお人好しなリーリエでもなくって、俺のことをそうやって気にかけてくれて、自分の一挙手一投足、俺に迷惑かけたんじゃないかって無駄に心配してくれる、そんなリーリエが。俺が君にとって、たった唯一の大切な存在なんだって、そう思ってくれている。間違いないよね」
「イブキさん……」
「……ぶしつけなのはわかってるけど、俺はファンって意味合いでなく君に憧れてきた、君にふさわしい人であればとずっと願ってきたのは俺の方だ。だから、ちょっと手を出してくれる? 絶対もう、急に握ったりはしないから」
「……うん。あたしこそ……もう逃げたりしない」
そろそろと差し出された小さな両の手に、イブキは持ってきた指輪を滑り込ませました。
「いっ、イブキのいじわるっ! もう手を握ったりはしないって、言ったのに!」
イブキからの思いがけない告白にリーリエはとびあがりそうになります。握られた以上に手のひらが火傷したように熱くなります。あの歌どおり、イブキは自分のことを焦がれるほどに想ってくれていたなんて! そのことに純粋に気がつかずにいた自分の鈍さ。やっぱり自分は「ひどい女性」、つれない女性だった。
リーリエはわんわん泣きながら、体ごとがっくりとイブキの腕の中に頽おれました。彼女をそっと抱き返し、二人そろって川にポチャンしないよう、イブキはぐっと足を踏ん張り、大切なリーリエを開けた草の上に座らせました。
「嘘じゃないよね……イブキさん……こんなにも……あたしのこと……想っていてくれたなんて……!」
「農夫が嘘つくわけないだろ、君が思っているほど俺は賢くもないし、すごくもないよ。それに、イブキでいいよ、俺だって君のことリーリエって呼んでるし」
「うう……でも……慣れそうにない……」
「そっか、じゃあ、これから慣れればいい。天気予報士になったときのこと、思い出すんだ。資格だって、あとからとったんだろう? リーリエならできる、俺はよくよく分かってるよ」
そうしてイブキは腕の中で、うん、うん、と小さく嗚咽する彼女をぎゅっと抱き直し、頬を紅潮させます。大切な彼の腕に抱かれ、リーリエはすすり泣きながら、愛するイブキに「ありがとう、あたし、がんばるから」と答えるのでした。
**********************
牧場物語つながる新天地5周年ということで
かなり前に書いたまま詰んでいたイブリリを完成させました。
なにかのはずみで百人一首の「さしもぐさ」の首を思い出したのですが
歌を贈られた女性は「そんな程度の男には私は振り向かないわ」な女性だったのか、
「あんなにもすばらしい男性に私なんてそぐわない…」な女性だったのか、
とても気になって調べたのがこの話のきっかけで…。
どうも前者だったようで、欲求不満が募り、
リーリエに消化してもらいました。
指輪を渡していますが、一応は恋人になる前の状態、
まだメルティ同伴でデートをする前、
思い煩って倒れてしまう前のお話です・・・。
0コメント