銀の薔薇のゆくへ(牧物つな天ミステル×ミノリ)

 磁石のように強力な力で引き寄せられるようにミノリの足は町のアンティークショップに向かっていました。それというのも樫の木タウンに越してきてこの方、町はずれのあの趣深い建物が、自分を毎日のようにおいでおいでしているように思われるのです。

 古き年代物の家具や調度にまったく興味がないかと言えばもちろんそうではなく、さりとてそういった類のものを集める趣味があるわけでもない。アンティーク以外で、そこにしょうがないほど強く惹かれてしまう理由を確信するにはあまりに気が早すぎるというものですが、ミノリはあるひとつの予感に耳ったけ縛られているのでした―あそこの店主が私を呼んでいる。

 「いらっしゃいませ、マーシャリン」

 その日も堰を切って店に飛び込んだミノリをそこの若き店主はしゃれた呼び名で迎えました。

 どうしてそんなことになってしまったのか。それはミノリが初めてこの店を訪れたとき、端正な顔立ちの美青年が錫でできた銀色の薔薇のオブジェを布で丹念に磨いている姿が目に入り、そのさまがあのオーストリアの文豪が遺した「薔薇の騎士」をあまりにもまざまざと思いおこさせたものですから、ミノリは目を見開いて「まあ、あなたはオクタヴィアン? カンカンなの?」と口走ってしまい、それが不本意にも彼の感性を強力にくすぐってしまったようで、彼は感謝と皮肉を込めて「ええ、そうみえますか、ボクのマーシャリン」と答え、この衝撃的な出会いが一発で二人の呼び名を決定づけてしまったのです。

 どのみち引っ越してきてこの町に住む以上、彼女がお得意様になることは必然でしょうし、それなら少しぐらいのジョークもこの変化のない片田舎でアンティークショップを営むうえでのちょっとした清涼剤になろう、そう彼は思ったに違いありません。

 しかしながらそれは彼が飛ばした、最初で最後の冗談でもありました。

「店内ではお静かに願います。ここでは静寂が主を務めておりますので」

 ミノリの可愛いカンカンはいつものもったいぶった言い回しで、騒がしい牧場主を牽制しました。

 会ったばかりのころはそういった彼のいいようにいちいち反応して、不必要なまでに忍び足で店内を歩き回ったり、石のように黙りこくって調度に見入ったりしていたミノリでしたが、いつのまにやらさわやかな顔でむっつりとした発言をする彼のそのピリ辛い舌にもすっかり慣れてしまい、彼からどれだけきつく忠告を受けても、軽く受け流してごくごく自然に振舞えるようになっていました。

「これはチョコレートの国から取り寄せた馬車のオブジェです」

 牧場主であるマーシャリンにはぜひ紹介せねばと思ったのか、ミステル―そう、ミノリが思わずオクタヴィアンと呼んでしまった美青年は「ミステル」と呼ばれていました―は両手に収まるほどの大きさの古びた馬車の置物を紹介しました。

「あなたなら、アンティークとしての価値はともあれ、この形状の置物には感興そそられるのではと思いましてね」

 ウン万は下ると思われるたいそうなオブジェを眺め、ミノリは「それはそうだけど、私には不相応だと思うわ、同じお金があればオブジェでなく本物の馬車を買うもの」と首を振りました。

「ええ、それが正しい答えですよ」

 ふふ、と子馬のように笑うと、ミステルは葡萄色の透き通った瞳を細め、大切な愛馬を小屋に戻すように、馬車を背後の棚にしまいました。

「ボクがまだこの仕事を始める前、ボクはある音楽バンドを追いかけていましてね」

 ミノリに背中を向けたまま、ミステルは急にしんみりと語り出しました。

「……でもそのバンドはあるとき活動を休止してしまった、その休止前最後のライブで、ボクは偶然ギターピックを拾ったのです。どのメンバーのものかすぐにわかりました、そのときは思い出にと持ち帰ったのです。……しかし」

 くるりを向きを変え、彼はうつむき溜息をつきます。

「ボクは彼の熱烈なファン……というわけではなかった。そのせいか気持ちが落ち着かず、そのギターピックがなにかを訴えているように感じてならなかった。それではたと思い立って、ボクはそれを、もっとそれを持つにふさわしい方にお譲りしたのです。それが、ボクがこの仕事を始めたきっかけでした」

 手探りでおもむろにくすんだ錫の薔薇をとり、金髪のオクタヴィアンは何かを悟ったように目を潤ませます。

「物と人の仲買人になりたい。あのギターピックがボクに教えてくれました、物というのはそれを本当に必要とする人のもとへと行きたがるのだと。ですから、里親を探すアンティークの力に少しでもなってあげたい、とそう思いましてね」

 ふふ、ですからオックス男爵の銀の薔薇を彼の許嫁に届ける役を担う「オクタヴィアン」はボクにはぴったりすぎる愛称で、あなたが出会いざまにボクの本性を見抜いたものですからボクはびっくりしてしまったのですよ、そう彼は満足そうに喉の奥で笑うと、ふと寂しそうな眼差しを投げ、そう言うボク自身も、姉さん以外に身寄りはいない、買い取り手のいないアンティークのようなものですがね、と、声を震わせました。珍しくも諦念の情を浮かべたミステルは、普段の余裕のある彼とはどこか違うようにも思われました。

 ミステルの話にミノリも、はたと思い当たる節があるように目を見開きます。

「それわかる! 私もひとり応援している歌手がいてね! そのひとのレコードを中古の通販サイトで買ったの! そうしたら、ブックレットのプロフィール写真に、すでに彼のサインがしてあったのよ!」

 「彼の」。ミノリの口から紡がれたその言葉に妙な感情が湧きあがり、ミステルはむっと眉間に皺を寄せました。

 ―ああ、たったそれだけで分かってしまう、ボクはあなたに必要とされたがっているんだ。その方に、その方のサインや録音に、あなたがとられるということが許せない、あなたたちがたとえ、「物」と「人」との関係であったとしても―

 狂おしい嫉妬の念は父母を知らずに育ったアンティークショップの若旦那の心をひとのみにします。―物がそれを必要とする人のもとへと渡ることを望んでいたはずなのに、自分に素直になれないとは!

 言葉を選ぶミステルの表情に、ミノリはどこか彼の心を見透かしたような気持ちになりました。それと同時に自分をこの店に惹きつける磁石が、やはり彼本人であるということを自信をもって確信してよいのだとうなずきます。

 女性からリードするのはあまりよくないことに違いない。しかし、頭でっかちの彼には追い打ちをかけたほうが良いに決まっている。彼女はふくよかな口元にふっくりと笑みを浮かべました。

「カンカン。まだ私のこと、マーシャリン……元帥夫人と呼ぶつもり?」

「あなたは本当にいじわるな人だ。しかしボクはあなたが……夫もいるのに若い男性を寝室に呼ぶような女性ではあって欲しくないと強く強く願っています」

 手に握った銀の薔薇に良い香りのする香油をふりかけると、「お受け願えますか? これは男爵からではない、ボクからの銀の薔薇です」と、彼はそれをミノリの手に差し出すのでした。


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3月3日は桃の節句にうさぎの日、さらには「ミスミノの日」と聞くに及びまして、
ミスミノ創作です。
呼び名とかついちゃってますが、まだ恋人になる前のふたりのつもりです。
イリスさんはどこかアラベラっぽいし、ミステルはオクタヴィアンっぽいし、
この姉弟はなんですか、ホーフマンスタールの戯曲をもとに
構想が練られたのでしょうか…?!
途中のギターピックとレコードのエピソードは実際に私が体験したことがあるもので……。
特に密林で買った《羊飼いの王様》のCDブックレットに
本命さんのところだけ本人の直筆サインがしてあって、
図々しくもこのCDは行くべき場所が分かっていたんだと思ったことが忘れられんです。

ええ…もちろん当人にはそのことお伝えしましたですとも…。
世の中には不思議なこともあるものです…。

RosenKneipe

お引越ししました 手芸作品は TenNenffert より! まだ改装中です…

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